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2009年06月16日

2009GW中日本ツーリング10 名古屋・横井庄一記念館

 
私が名古屋へ急ぐのには理由があった。
この日は日曜日、週に一回、横井庄一記念館が開く日なのだ。

横井庄一さんを知らない人ももう少なくないだろう。
しかし私たちの世代では、横井さんの帰国はかなり大きなニュースだった。みんなが同じテレビ番組を見て翌日学校でその真似をして遊んでいた時代だ。翌日の学校は横井さんの話題でもちきりだったものだ。帰国時横井さんの第一声である「恥ずかしながら帰って参りました」の言葉は、当時大流行した。

横井さんを知らない人のために、簡単にwikipedia日本語版からその奇異な人生を引用してみる。


横井 庄一(よこい しょういち、1915年3月31日 - 1997年9月22日)は、元日本兵である。愛知県海部郡富田村(現:名古屋市)出身。太平洋戦争終結から28年目、グアム島で地元の猟師に発見された。

(中略)

その当時グアムに残っていた隊員にはポツダム宣言(1945年)受諾によって日本軍の無条件降伏が発令されたことが知らされなかった。横井はジャングルや自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年1月24日に食料調達の為川でエビを採っていたところ現地の猟師に発見され、同年2月2日に日本に帰還した。

軍事教育を受け育った横井は「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけて行ったという記憶がしっかりとあった為、帰国の際の第一声は「帰って参りました…恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました」というものだった。この「恥ずかしながら帰って参りました」はその年の流行語となったが、実際に帰国して最初に話した言葉は「恥ずかしいですけれども、帰って参りました」であった。

帰国後は、愛知県名古屋市中川区での居住を始めた。戦後の日本の変化に対して適応できるかどうかが心配されたが、驚くほど素直に戦後の日本に馴染んだ。この点は、同じ残留日本兵である小野田寛郎が、1974年の帰国後マスコミによる批判や父親との不仲などから、戦後の日本に馴染めずブラジルに渡航したことと対照的である。その年に美保子と結婚した後は、自身のグアムでのサバイバルについて耐乏生活評論家、あるいは生活評論家として全国各地で講演、1974年7月の第10回参議院議員通常選挙(全国区)にも無所属候補として立候補した。1997年に心臓発作で死去。享年82。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/横井庄一 より引用)

横井さんが帰国後名古屋に住んでいたことを、私は知らなかった。また、参議院選に出馬したその後をどう過ごされたかも全く知らなかった。しかし、2006年6月、奥様の横井美保子さんによって、名古屋市内の横井さんのご自宅に横井庄一記念館が設立されたのだ。個人とボランティアで運営している、しかもご自宅を開放されての記念館なので、週に一度、日曜日の午前10時から午後4時半までしか開いていない。この時間に遅れるわけにはいかなかったのだ。



横井庄一記念館は、全く持って普通の住宅だ。
いきなり入ることがためらわれ、玄関が見える場所から電話を入れてからお邪魔をする。

Gn125_yokoi_home.gif

Gn125_yokoi_home2.gif



28年間のほとんどをジャングルで独りで生活するには、知恵と技術、そして孤独に耐える精神力が必要だ。

ちょっと無責任に書いてしまうと、(多分)人間にはこの種の環境に対する憧れのようなものがあり、だからロビンソンクルーソーとかサバイバルとか十五少年漂流記とかそんな物語が喜ばれる。キャンプが楽しいのは、適度に不便な非日常生活だからだ。

しかし、自分の意志ではなくこの生活を、しかも米兵や現地の人に見つからないように行うことは決して楽しいことではない。ましてや28年間の暮らしは想像を超える。

その暮らしぶりを横井美保子さんは住居の一室を使って再現している。正確に言うと、学校の先生やボランティアさんがここで再現したらしい。部屋の大きさの都合で多少実寸とは違うが、ほぼ実物大の洞窟住居のモデル……

Gn125_yokoi_cave.gif


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私が名古屋へ急ぐのには理由があった。
この日は日曜日、週に一回、横井庄一記念館が開く日なのだ。

横井庄一さんを知らない人ももう少なくないだろう。
しかし私たちの世代では、横井さんの帰国はかなり大きなニュースだった。みんなが同じテレビ番組を見て翌日学校でその真似をして遊んでいた時代だ。翌日の学校は横井さんの話題でもちきりだったものだ。帰国時横井さんの第一声である「恥ずかしながら帰って参りました」の言葉は、当時大流行した。

横井さんを知らない人のために、簡単にwikipedia日本語版からその奇異な人生を引用してみる。


横井 庄一(よこい しょういち、1915年3月31日 - 1997年9月22日)は、元日本兵である。愛知県海部郡富田村(現:名古屋市)出身。太平洋戦争終結から28年目、グアム島で地元の猟師に発見された。

(中略)

その当時グアムに残っていた隊員にはポツダム宣言(1945年)受諾によって日本軍の無条件降伏が発令されたことが知らされなかった。横井はジャングルや自ら作った地下壕などで生活、グアム派遣から約28年後の1972年1月24日に食料調達の為川でエビを採っていたところ現地の猟師に発見され、同年2月2日に日本に帰還した。

軍事教育を受け育った横井は「生きて本土へは戻らぬ決意」で出かけて行ったという記憶がしっかりとあった為、帰国の際の第一声は「帰って参りました…恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました」というものだった。この「恥ずかしながら帰って参りました」はその年の流行語となったが、実際に帰国して最初に話した言葉は「恥ずかしいですけれども、帰って参りました」であった。

帰国後は、愛知県名古屋市中川区での居住を始めた。戦後の日本の変化に対して適応できるかどうかが心配されたが、驚くほど素直に戦後の日本に馴染んだ。この点は、同じ残留日本兵である小野田寛郎が、1974年の帰国後マスコミによる批判や父親との不仲などから、戦後の日本に馴染めずブラジルに渡航したことと対照的である。その年に美保子と結婚した後は、自身のグアムでのサバイバルについて耐乏生活評論家、あるいは生活評論家として全国各地で講演、1974年7月の第10回参議院議員通常選挙(全国区)にも無所属候補として立候補した。1997年に心臓発作で死去。享年82。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/横井庄一 より引用)

横井さんが帰国後名古屋に住んでいたことを、私は知らなかった。また、参議院選に出馬したその後をどう過ごされたかも全く知らなかった。しかし、2006年6月、奥様の横井美保子さんによって、名古屋市内の横井さんのご自宅に横井庄一記念館が設立されたのだ。個人とボランティアで運営している、しかもご自宅を開放されての記念館なので、週に一度、日曜日の午前10時から午後4時半までしか開いていない。この時間に遅れるわけにはいかなかったのだ。



横井庄一記念館は、全く持って普通の住宅だ。
いきなり入ることがためらわれ、玄関が見える場所から電話を入れてからお邪魔をする。

Gn125_yokoi_home.gif

Gn125_yokoi_home2.gif



28年間のほとんどをジャングルで独りで生活するには、知恵と技術、そして孤独に耐える精神力が必要だ。

ちょっと無責任に書いてしまうと、(多分)人間にはこの種の環境に対する憧れのようなものがあり、だからロビンソンクルーソーとかサバイバルとか十五少年漂流記とかそんな物語が喜ばれる。キャンプが楽しいのは、適度に不便な非日常生活だからだ。

しかし、自分の意志ではなくこの生活を、しかも米兵や現地の人に見つからないように行うことは決して楽しいことではない。ましてや28年間の暮らしは想像を超える。

その暮らしぶりを横井美保子さんは住居の一室を使って再現している。正確に言うと、学校の先生やボランティアさんがここで再現したらしい。部屋の大きさの都合で多少実寸とは違うが、ほぼ実物大の洞窟住居のモデルだ。

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中には竹が敷き詰められ、外光や水も入ってくるように工夫されている。また、夜間用の手作りランプもある。横井庄一さんはいくつか住居を作ったが、最後に住んでいたのがここなのだそうだ。ちなみ横井さんが発見されたグァム島にも "Yokoi Cave" という観光名所があるが、今あるそれはあまり正確な場所ではなく、オブジェ的な存在らしいと、ボランティアさんは言っていた。


この劣悪な環境で、横井さんは機織り機を造り、植物の繊維から服を作り、魚を捕るかごを編み、蘇鉄の実を食べられるように加工した。機織り機の目を近くで見たが、その幅は1ミリ程度だった。恐ろしく緻密な作業だ。

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展示館には住居の2部屋があてられている。

一室は前述の模型、そしてもう一室にはガラスケースに入った様々な展示品だ。ひとつひとつが興味深い。書籍などもあり手にとって読むこともできるので、その気になれば数冊の本を読んで一日過ごしてしまいかねない。

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私がいろいろ見学させていただいていると、奥から「よろしかったらお茶をどうぞ」との声をいただいた。横井庄一さんの奥様である横井美保子さんだった。ご自宅で貴重な資料を見せていただいて、しかもお茶をいただいたりしては申し訳ない、と思いつつ、せっかくなのでおいしいアールグレイをいただきながら、横井庄一さんが好きだったという庭側の部屋でお話をうかがう。

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私の関心は晩年の横井庄一さんの暮らしぶりだった。

帰国後の横井さんは、マスメディアに追いまくられ、ついには参議院選に担ぎ上げられてしまう。1974年のことだ。知名度を利用したいわゆるタレント議員にされそうになったのだ。ちなみにこの年には山東昭子議員が初当選している。




「この参議院選挙をきっかけに、何もかもが静かになったんですよ」


奥様は昔を懐かしむようにおっしゃる。


横井庄一さんは帰国後「驚くほどの素早さで」日本の生活になじんだと言われているが、ジャングルで人に見つからないように28年間暮らすことを考えれば、それは容易いことだったに違いない。周囲を観察し、もっとも現実的で効果的な対応を考え、実行する。マスコミへの露出も選挙も横井さんの意志と言うより、横井さんの日本社会に対応するための現実的な選択だったような気がする。今からその状況を考えても、他に選択肢はなかっただろう。


今でもマスメディアは一種の権力による横暴な側面を見せることがあるが、この時代のそれは今よりも悪質だった。筒井康隆がマスメディアの体質をデフォルメして描いた「おれに関する噂」が発表されたのが1972年。そういう時代に生き残るには、決してマスメディアや各種団体、政党などと敵対しないことが、ある程度お年を召して、行政の力も借りつつ生活せざるを得なかった横井さんの、現実的な対応だったのだろう。


賢い人でなければ28年間ジャングルでのサバイバル生活はできないし、強い精神力がなければ孤独にも耐えられない。悪い言葉を使わせてもらえば「時代の見せ物」的に扱われてしまった横井さんは、その本質を察知しながら、あえてそれに耐えたように思える。横井さんのお話をうかがい、横井さんの書棚や達筆な書を見せていただくと、そんな気がしてならない。

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晩年の横井さんは、陶芸を楽しむ日々を過ごされたとのことだった。あれだけ器用な人だ。陶芸でもその才能を発揮したにちがいない。何より穏やかな時間を楽しんでいた、そう思う。


「陶芸をしている時が一番楽しそうで、一番横井らしい姿でした。」


奥様は懐かしそうにおっしゃっていた。



横井庄一記念館:

所在地  名古屋市中川区冨田町千音寺稲屋4175
電  話  (052) 431−3600
開館日  毎週日曜日のみ開館
開館時間 午前10時―午後4時30分
入館料  無 料


個人のお宅であることを十分意識した上で訪れたい。


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この記事へのコメント
このような所があると、初めて知りました。
無料で自宅を開放する奥様のお力も、横井さんの再出発の大きな基礎だったのでしょうね。
いまだに絶えない愛情を感じずにはいれません。
Posted by parumiyo at 2009年06月21日 07:45
>oarumiyoさん

はい、95%好奇心で出かけたのですが、奥様やボランティアさんはそんな私にも暖かく接して下さいました。行って良かったと心から思っています。^^
Posted by Gn125ブログ主 at 2009年06月26日 21:39
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