午後9時過ぎ、陸中地方の中核都市釜石。一応シルバーウィークのまっただ中。
あてにしていたイーモバイルは、市内中心部でも圏外。
そして宿無しだ。
告白すると、この状況は嫌いではない。
迷子と宿無しは、旅行の醍醐味だ。
別にGN125が壊れたわけでも、予算が底をつき文無しになったわけでもない。どうにでもなる。
ただ今まで宿泊予約サイトに依存しまくっていたおかげで、多少不便に感じるだけだ。
若い頃はどこでも夜を明かすことができた。
生まれて初めて野宿をしたのは高校生の時だ。
今となっては懐かしい周遊券で北海道を旅行しているとき、列車の遅れであてにしていたユースホステルに行くことができず、かといって当時は高値の花だった駅前のホテルや旅館に泊まることなど、とても自分がして良いこととは思えず、駅待合室のベンチで夜を明かした。
当時のユースホステルは、素泊まりで2000円台だっただろうか。
待合室のベンチは快適ではなかったが、若かった私は疲れより2000円ほどの予算が浮いたことの方が大きく、ここからその後の野宿ライフが始まることになる。
経験を重ね熟練野宿者となった私は、その後様々な場所で野宿をした。調子にのって酔っ払ったあと高田馬場の公園のベンチで寝ていたら、翌朝よく分からないままワゴン車に乗せられ工事現場に連行され、気が付いたら夕方8000円を握って埼玉県の某市に立っていたこともあった。野宿おいしいではないか!
公園のベンチで野宿をしたときには、ラジオ体操に集まってきた現地の小学生たちに棒で突かれ
「おお、生きとる、生きとる!」を騒がれたこともあったし、穴場だと信じていた神主の常駐していない神社の軒下で顔中を蚊に刺されたり、まぁいろいろ痛い目も見たが、それでも宿代が浮くことがうれしくてたまらなかった。少し年齢を重ねて国外でバックパック旅行を始めてからも野宿癖は抜けきれず、多少危険な目にあったこともある。

(例によって文章が長くなったので、田代島の猫でお和み下さい)
しかしある程度旅行経験を積むうち、キャンプではない野宿のリスクの高さに気がつき始めた。国内の治安が昔よりよろしくなくなってきたことも、野宿者への世間の目が厳しくなってき…
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